今ではまったく走らなくなってしまった私だが、実は10年以上前、フルマラソンを完走した経験がある。
「走るのが好きで?」と聞かれると、正直まったくそんなことはない。
むしろ、走ること自体は苦手な部類だった。今でも久しぶりに会う人からは「走ってるの?」なんて聞かれることもあるけど「もう、まったく・・・」が回答です。
それでもなぜ走り始め、そしてフルマラソンまで出るようになったのか。
今回はそんな“走ることが好きじゃない男”のマラソンの記録を振り返ってみたい。
きっかけは友人の冗談から
マラソンを始めたのは、2010年の年明け、26歳の頃だった。
きっかけは本当に他愛のない冗談だった。
山形県東根市に住む友人が、「ひがしねサクランボマラソン大会に出て、東根市にお金を落としてくれよ」と笑いながら言ったのだ。
地元愛に満ちた冗談半分の誘いだったが、当時は特に熱中している趣味もなく、「まあ、そんなに言うなら」と軽い気持ちで参加を決めた。
これが、私のマラソン人生の始まりだった。もちろん一緒に走る仲間もいたわけなので続けられたのだが。
最初に出場したのは10kmの部。
普段まったく走っていなかったので、練習で最初の2kmを走った時点で息が上がり、「これはまずい」と思ったことを今でも覚えている。
練習ではひざが痛くなり、走っては休んで、走っては休んでの繰り返しとなる。初心者が陥りやすいのは「外側靱帯の炎症」その名の通りひざの外側の靱帯の炎症で、基本的なひざの曲げ伸ばしが痛くなる。これは、休養しかない。急な場合は応急的にキネシオロジーテーピングなどを行っておくことで、症状の軽減も期待できるがやっぱり「休息」が必要。
それでも少しずつ距離を伸ばし、なんとか大会当日を迎えた。
沿道の応援や、地元の方々の温かさに励まされながら走りきった10kmのゴール。
完走後に感じた達成感と爽快感は、それまでの人生ではなかなか味わえない種類のものだった。
いつのまにかフルマラソンへ
その後も、友人との縁やちょっとしたノリで、年に数回マラソン大会に参加するようになった。
最初は10km、次にハーフ。東根さくらんぼマラソンには7-8回ハーフマラソンでお世話になった。神町の自衛隊基地をスタート、ゴール地点として、工業団地、サクランボ農園を回るコースだ。
そして気がつけば、「いつかフルマラソンに挑戦してみたい」という気持ちが芽生えていた。
本格的なトレーニングをしていたわけではない。
平日は仕事が忙しく、走るのは週に2回ほど。
夜に4〜5km程度を軽く走り、週末だけ少し長めに距離を伸ばす。
そんな程度だった。
それでも2013年、ついにフルマラソン初挑戦。
舞台は「長井マラソン」。
地元・山形県の大会で、初フルにはちょうどいい規模感だった。天候は大雨・・・。
18kmを超えたあたりから足が鉛のように重くなり、そこからは歩いたり走ったりを繰り返しました。残り10kmはほとんど気力だけで進んだ。
それでも、ゴールした瞬間に込み上げた感情は言葉では表せないほどだった。
翌年には「いわきサンシャインマラソン」にも出場。
そして2016年、一発で受かった念願の「東京マラソン」を完走した。
都心のど真ん中を走り抜け、沿道から数えきれないほどの応援を受ける――。
あの特別な空気感は、今でも忘れられない。



東京マラソンってオリンピック選考会も兼ねてるから、ここで好成績出せばオリンピック出れたな~。
走る理由は「ぼーっとしたいから」
ここまで読むと、「すごくストイックな人」と思われるかもしれない。
だが、実際のところはまったく違う。
私にとって走ることは、ストレス発散や自己鍛錬ではなかった。
走っている間は何も考えずにぼーっとできる時間だったし、走った後のビールが格別にうまかった。
「美味しいお酒を飲むために走る」というのが正直な動機だったと思う。
マラソンのいいところは、初期費用がほとんどかからないこと。
ランニングシューズさえあれば始められる。
当時、社会人になりたての自分にとって、それは手軽で魅力的なスポーツだった。
それでも変わりゆくマラソン大会
一方で、ここ数年でマラソン大会の様子も随分と変わってきた。
かつては数千円だった参加費が、最近では1万円を超える大会も珍しくない。
運営費や警備費がかかるのは理解できるが、「ちょっと走るだけでこれは高いな」と感じることも増えた。
ランニングブームが定着するにつれて、マラソンが「身近なスポーツ」から「ちょっと贅沢なイベント」になっていくような印象を受ける。
帯状疱疹で強制ストップ、そして再始動へ
そんな中、2019年のある日、悲劇が起きた。
仕事が立て込んでいた時期、マラソン大会を控えた週にまさかの帯状疱疹を発症。
無理をしてでも走りたかったが、体がついてこなかった。
それ以来、走ることから完全に離れてしまった。
気がつけば数年が経ち、マラソンシューズもクローゼットの奥に眠ったまま。
それでも、最近になって少しずつ体の変化を感じるようになった。
特に気になるのが、腹回り。
「そろそろまた走らなきゃな」と思い立ち、ここ数日、久しぶりにランニングを再開した。
まだ数キロ走るだけで息が上がるが、それでも走り終えた後の爽快感は昔と変わらない。
かつてフルマラソンを走り切った自分を少しだけ思い出しながら、また一歩ずつ進んでいこうと思う。
おわりに 〜走ることの意味〜
振り返れば、マラソンを始めたきっかけは本当に他愛もない冗談だった。
それがきっかけで10年以上にわたるランニング人生が生まれ、いくつもの大会に出場し、数え切れない思い出ができた。
「走ることが好きじゃない」と言いながら、なんだかんだでここまで走ってきたのだから不思議なものだ。
マラソンは、特別な才能や設備がなくても始められる、究極にシンプルなスポーツ。
でも、続けるうちに自分の心や体の変化に気づける、奥深い世界でもある。
今のところ、再びフルマラソンに挑戦する予定はない。
けれど、またどこかの大会で、あのスタートラインに立っている自分がいるかもしれない。
そしてその時もきっと、走り終えた後の一杯を楽しみにしているのだろう。
――マラソンは、私にとって「走るための時間」ではなく、「考えずに自分に戻れる時間」なのかもしれない。
こうご期待。
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